千葉地方裁判所 平成5年(ワ)1107号 判決 2000年1月25日
甲事件及び乙事件原告
甲野太郎
甲事件原告
甲野一郎
右法定代理人親権者父
甲野太郎
右法定代理人親権者母
甲野花子
右両名訴訟代理人弁護士
高橋達朗
右訴訟復代理人弁護士
池田至
同
多良博明
同
井上康知
甲事件被告
武井美香
同
武井初男
右両名訴訟代理人弁護士
植田俊策
甲事件被告
株式会社峽東タクシー
右代表者代表取締役
廣瀬宏
甲事件被告
奥原輝茂
右両名訴訟代理人弁護士
江口保夫
同
平野耕司
同
山崎哲
同
渡邊清朗
同
海老原覚
同
豊吉彬
同
江口美葆子
同
山岡宏敏
乙事件被告
有限会社島田クリーニング
右代表者代表取締役
島田武
右訴訟代理人弁護士
佐藤恒男
甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂の被告知人
同和火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
永田峻陽
甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂の被告知人
住友海上火災保険株式会社
右代表者代表取締役
小野田隆
甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂並びに乙事件被告の被告知人
富士火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
下村幸純
主文
一 甲事件について
1 甲事件被告武井美香、甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂は、連帯して、原告甲野太郎に対し、金八三〇万七三九八円及び内金七五五万七三九八円に対する平成二年六月一七日から、内金七五万円に対する平成五年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 甲事件被告武井美香、甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂は、連帯して、原告甲野一郎に対し、金三三万七一二〇円及び内金三〇万七一二〇円に対する平成二年六月一七日から、内金三万円に対する平成五年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 甲事件原告らの甲事件被告武井美香、甲事件被告株式会社峽東タクシー及び甲事件被告奥原輝茂に対するその余の請求並びに甲事件被告武井初男に対する請求を棄却する。
二 乙事件について
1 乙事件被告有限会社島田クリーニングは乙事件原告に対し、金一二八万〇八八九円及び内金一一七万〇八八九円に対する平成四年七月一一日から、内金一一万円に対する平成七年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 乙事件原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用について
訴訟費用は、甲事件原告らと甲事件被告武井初男との間に生じた費用は甲事件原告らの負担とし、その余の費用は、甲事件、乙事件を通じて、これを五〇分し、その四を甲事件被告武井美香の負担とし、その四を甲事件被告株式会社峽東タクシー及び被告奥原輝茂の負担とし、その一を乙事件被告有限会社島田クリーニングの負担とし、その一を甲事件原告甲野一郎の負担とし、その余を甲事件及び乙事件原告甲野太郎の負担とする。
四 この判決の第一項(甲事件)の1及び2、第二項の1(乙事件)は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
一 甲事件について
1 甲事件被告らは、連帯して、原告甲野太郎に対し、金一億二四四二万二九二〇円及び内金一億一九四二万二九二〇円に対する平成二年六月一七日から、内金五〇〇万円に対する平成五年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 甲事件被告らは、連帯して、原告甲野一郎に対し、金六三万九一八〇円及び内金五三万九一八〇円に対する平成二年六月一七日から、内金一〇万円に対する平成五年七月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 仮執行宣言
二 乙事件について
1 乙事件被告は原告甲野太郎に対し、金一二六九万八三三五円及び内金一一六九万八三三五円に対する平成四年七月一一日から、内金一〇〇万円に対する平成七年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 仮執行宣言
第二 事案の概要
(以下、甲事件及び乙事件原告甲野太郎を「原告太郎」と、甲事件原告甲野一郎を「原告一郎」と、甲事件被告武井美香を「被告美香」と、甲事件被告武井初男を「被告初男」と、甲事件被告株式会社峽東タクシーを「被告峽東タクシー」と、甲事件被告奥原輝茂を「被告奥原」と、乙事件被告有限会社島田クリーニングを「被告島田クリーニング」という。)
一 明らかに認められる事実等
1 本件第一事故(以下「第一事故」という。)
(一) 事故の日時 平成二年六月一七日午後四時二〇分ころ
(二) 事故の場所 山梨県東山梨郡牧丘町室伏<番地略>先の国道一四〇号線上
(三) 峽東車両 被告奥原運転の事業用普通乗用自動車<車両番号略>。被告峽東タクシー保有。原告太郎及び原告一郎が同乗。
(四) 武井車両 被告美香運転の自家用普通乗用自動車<車両番号略>。
(五) 事故の態様 前記日時場所において、被告美香運転の武井車両がその前方を走行していたバスを追い越そうとして対向車線に進入したところ、対向してきた被告奥原運転の峽東車両に正面衝突した。
2 本件第二事故(以下「第二事故」という。)
(一) 事故の日時 平成四年七月一一日午後三時五五分ころ
(二) 事故の場所 千葉県船橋市前原西<番地略>先
(三) 原告車両 原告太郎運転の自家用普通乗用自動車<車両番号略>。
(四) 島田車両 ALI・MOHAMADI(アリ・モハマディ。以下「モハマディ」という。)運転の自家用普通貨物自動車<車両番号略>。被告島田クリーニング保有。
(五) 事故の態様 前記日時場所において、モハマディ運転の島田車両が原告車両に追突した。
二 原告らの主張
1 被告らの責任原因
(一) 被告美香 被告美香には、追越しの際の対向車線安全確認義務違反がある。自賠法三条、民法七〇九条。
(二) 被告初男 被告初男は武井車両の保有者である。自賠法三条。
(三) 被告奥原 被告奥原には、前方注視義務違反及び安全速度保持義務違反がある。自賠法三条、民法七〇九条。
(四) 被告峽東タクシー 被告峽東タクシーは、峽東車両の保有者であり、旅客安全輸送義務違反がある。自賠法三条、商法五九〇条。
(五) 被告島田クリーニング 被告島田クリーニングは被告島田車両の保有者であり、モハマディの使用者である。自賠法三条、民法七一五条。
2 原告らの損害
(一) 第一事故による損害
(1) 原告太郎の負傷
外傷性頸部症候群、腰椎棘突起骨折、腰部打撲の傷害
(2) 原告太郎の入通院等
ア 千葉徳州会病院
入院 平成二年八月八日〜同月一〇日入院(三日)
通院 平成二年六月一九日〜平成四年七月二九日(実日数八三日)
イ 葛西循環器脳神経外科病院
通院 平成二年一二月一四日〜平成七年八月二一日(実日数二三九日)
ウ 東邦大学医学部付属佐倉病院
通院 平成四年四月一七日〜平成七年八月二二日(実日数七七日)
エ 船橋整形外科
通院 平成四年七月一三日〜平成七年八月二九日(実日数一五〇日)
オ 船橋中央病院
通院 平成四年四月八日〜同月一五日(実日数二日)
(3) 原告太郎の現在の症状
ア 主な自覚症状
頸部の疼痛、頸筋の異常緊張、左上肢の痛み痺れ異常感覚、背筋の異常緊張痛、腰痛、左下肢痛、股関節痛、歩行不自由等の症状がある。
イ 後遺障害等級
a 症状固定日 平成七年四月三〇日
b 両側大後頭神経領域の痛み、頸部・両肩・背部筋緊張亢進、腰部圧痛、両側腰部筋緊張亢進、左ルーステスト、ライトテスト、アドソンテスト異常、レントゲン検査上第五腰椎棘突起骨折、MRI検査上C5/6頸椎ヘルニア、L4/5、L5/S腰稚ヘルニア
c 神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができず、後遺障害等級五級二号に該当する。
(4) 原告一郎の症状等
頸部捻挫、頭部顔面打撲の傷害により、千葉徳州会病院において、平成二年六月一八日〜同年九月一一日通院(実日数七日)した(途中頸椎カラー装着)。
(5) 原告太郎の損害額
ア 治療関係費
一二五万八四七八円
イ 通院交通費
一七八万一〇九〇円
ウ 休業損害
二二九四万七三七二円
エ 入通院慰謝料 二〇〇万円
オ 後遺症逸失利益
七九〇三万五九八〇円
カ 後遺症慰謝料 一三〇〇万円
キ 弁護士費用 五〇〇万円
ク 既払額 △六〇万円
ケ 合計
一億二四四二万二九二〇円
(6) 原告一郎の損害額
ア 治療関係費 五万九一八〇円
イ 通院慰謝料 四八万円
ウ 弁護士費用 一〇万円
エ 合計 六三万九一八〇円
(二) 第二事故による損害
(1) 原告太郎の負傷 外傷性頸部症候群
(2) 原告太郎の現在の症状
前記原告らの主張2(一)(3)と同じ。
(3) 第二事故後の後遺傷害の因果関係割合
原告太郎の後遺障害における第二事故の因果関係割合は、一割はあるというべきである。
(4) 原告太郎の損害額
ア 休業損害
二二九四万七三七二円
イ 通院慰謝料 二〇〇万円
ウ 後遺症逸失利益
七九〇三万五九八〇円
エ 後遺症慰謝料 一三〇〇万円
オ 小計 一億一六九八三三五二円
カ 因果関係割合(×0.1)
一一六九万八三三五円
キ 弁護士費用 一〇〇万円
ク 合計 一二六九万八三三五円
3 よって、
(一) 原告太郎は、
(1) 甲事件被告らに対し、第一事故に基づく損害賠償金一億二四四二万二九二〇円及び弁護士費用を除く内金一億一九四二万二九二〇円に対する第一事故日である平成二年六月一七日から、弁護士費用五〇〇万円に対する最終の訴状送達日の翌日である平成五年七月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
(2) 乙事件被告に対し、第二事故に基づく損害賠償金一二六九万八三三五円及び弁護士費用を除く内金一一六九万八三三五円に対する第二事故日である平成四年七月一一日から、弁護士費用一〇〇万円に対する訴状送達日の翌日である平成七年一二月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二) 原告一郎は、甲事件被告らに対し、第一事故に基づく損害賠償金六三万九一八〇円及び弁護士費用を除く内金五三万九一八〇円に対する平成二年六月一七日から、弁護士費用一〇万円に対する平成五年七月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
三 被告美香及び被告初男の主張
1 原告らの主張は争う。
2 被告初男は、武井車両の保有者ではない。すなわち、武井車両は、被告美香が平成二年三月購入し、運行の用に供したものである(乙二、三)。
3 第一事故について、被告美香に過失があることは認めるが、被告奥原や原告らにも責任の一端があるというべきである。すなわち、第一事故現場付近の指定最高速度は五〇Km毎時であり、下り坂の左カーブの見通し困難な道路であるのに、被告奥原は、峽東車両を時速八〇Kmの速度で進行させたものである。また、原告太郎はシートベルトをしないでいたし、原告一郎は峽東車両内で佇立していた。
4 第一事故による武井車両の修理費用は八万五二〇〇円であり、峽東車両の修理費は四万〇三〇〇円であった。
四 被告峽東タクシー及び被告奥原の主張
1 原告らの主張は争う。
2 被告奥原に前方注視義務違反及び安全速度保持義務違反のあることは争う。第一事故は被告美香の一方的な過失によるものであって、被告奥原には全く過失はない。また、峽東車両には構造上の欠陥や機能上の障害はない。
3 第一事故の詳細
(一) 第一事故現場付近は、峽東車両の進行方向側からは下り坂の左カーブであり、道路左側には高さ約1.8mの棚のあるブドウ畑が広がっており、前方の見通しが不良な地点である。
(二) 被告美香は、武井車両を運転し、前方の見通しが悪い上り坂の右カーブであるにもかかわらず、武井車両の前を走行していたバス(長さ9.98m)を追い越すため、第一事故現場手前において、加速するとともにハンドルを右転把し、バスの追越しのために右側部分に進出した。
(三) 被告奥原は、峽東車両に原告らを含む四人連れの客を西沢渓谷で乗車させ、同人らの目的地であるJR塩山駅に向かう途中で第一事故現場に差しかかった。当時の峽東車両の速度は五〇Km毎時である。
(四) 被告奥原は、被告武井車両発見と同時に、直ちに急制動の措置を講ずるとともに、ハンドルを左転把して、武井車両との衝突を回避しようとしたが、武井車両は追越し対象のバスに気を取られ、峽東車両の発見が遅れた結果、ブレーキ操作も遅れ、峽東車両の停車寸前で武井車両の右前部フェンダー部と峽東車両右前部とが衝突したものである。
4 被告美香は、上り坂の右カーブで、見通し困難な場所で車体の長いバスを軽自動車で追越しをしようとしたものであるところ、自動車運転者としては、右場所で追越しをすることは厳に慎むべきであって、被告美香には、第一事故に関する重大な過失がある。
5 第一事故と原告太郎の傷病との因果関係について
(一) 第一事故後の状況
(1) 第一事故における峽東車両及び武井車両の損傷はかなり軽微である。すなわち、峽東車両に生じた損傷は、右フロントフェンダー、フロントバンパー、ライト廻り、右ライトバックル等が少し凹んだ程度であり、武井車両に生じた損傷は、右フロントフェンダー、右ライト、右インナーフェンダー、右フロントピラー、フロントドア、フロントバンパー等が少し凹んだ程度に過ぎない。
(2) 被告奥原及び被告美香は何らの傷害も負っていない。原告ら以外の峽東車両の同乗者も何らの傷害も負っていない。
(3) 原告太郎自身は、第一事故後、被告奥原に対し、「災難だったね。運転手さん。」と声をかけ、体の痛みを訴えることはなかったし、原告一郎も車外に出てはしゃぎ回っていた。
(4) 第一事故現場付近にあった山梨消防署牧丘分署の署員は、第一事故後、現場にかけつけ、原告太郎から「傷害なし。」との申告を受け、かつ、自らも関係者らに傷害がなかったことを確認しており、結局、救急車は出動していない。
(二) 原告太郎の負傷
(1) 原告太郎の負傷とされるものの一つである頸椎捻挫(外傷性頸部症候群)は、追突事故や衝突事故に際し、頸椎に生理的範囲を超える屈曲や伸展を強いられた際に生ずるものである。衝突事故で、頸椎捻挫を発症させる下限の衝突瞬間速度は時速三〇Kmをかなり上回るものと考えられており、正面衝突で頸椎捻挫が発症するのは、衝突に際し、体が前方に投げ出されたとき、頭部や顔面がフロントガラスなどに衝突し、頭部が固定された状態で躯幹がなお前方に移動するため、頸椎に過伸展ないし過屈曲が生ずるためである。
しかし、第一事故における峽東車両及び武井車両の損傷状況等にかんがみると、両車両の衝突の際に加わった衝撃は、それほど大きいものではなく、衝突瞬間の相対速度が時速二〇〜三〇Km程度である。原告太郎は、第一事故で頭部や顔面をフロントガラス等で打撲等しておらず、原告太郎に頸椎捻挫が発症する可能性はないし、発症したとしても極めて軽いものにすぎないというべきである。
(2) 原告太郎の負傷とされるもののうち、腰椎棘突起骨折、腰部打撲(腰椎捻挫)は、衝突事故において、頸椎捻挫に比べてさらに発症し難いものであるところ、第一事故の態様にかんがみると、右腰椎関係の症状が発症することはあり得ないし、発症したとしても極めて軽いものに過ぎないというべきである。
(三) 原告太郎の診断結果と第一事故との関係
(1)ア 原告太郎は、第一事故の二日後の平成二年六月一九日に千葉徳州会病院脳神経外科において、後頭部、背部などに疼痛を訴えて受診し、外傷性頸部症候群と診断されているが、同病院の検査の結果、「深部腱反射異常なし」とされ、しかもジャクソンテスト、スパーリングテストなどの陽性所見とか上肢の知覚低下など頸椎捻挫の他覚的神経学的所見は全く見いだされていない。
イ その後原告太郎は、千葉徳州会病院脳神経外科において、腰痛を訴えて、腰部打撲と診断されているが、伸展下肢挙上テスト(ラセーグテスト)陽性とか下肢の腱反射低下、知覚低下などの腰椎捻挫の他覚的神経学的所見は全くなく、下肢知覚低下も一過性のもので、腰椎捻挫の他覚的所見とはいえない。
(2) 原告太郎は、その傷病として、①第四腰椎圧迫骨折又は第四/五腰椎骨折(+)の疑い、②第一仙椎の棘突起披裂があると各診断されたものがある。しかし、
ア 右第四腰椎圧迫骨折については、その疑いありと診断した千葉徳州会整形外科でも先天的なものと考えていたようであり、葛西循環器脳神経外科病院においては、そもそも異常所見とは見ていないことがうかがえ、いずれにしても第一事故との因果関係はない。
イ 右第一仙椎の棘突起披裂については、千葉徳州会病院整形外科では先天的なものと考えられており、これも第一事故との因果関係はない。
(3) なお原告太郎は、第一事故の約四か月後、千葉徳州会病院脳神経外科において、左胸部出口症候群と診断されているが、同病院のその後の診療録や葛西循環器脳神経外科病院にはその後の同症状記録はなく、右所見と第一事故との因果関係はない。
(4) さらに原告太郎は、第一事故の約三年後、葛西循環器脳神経外科病院において、右第二指基節骨陳旧性骨折? と診断されているが、その他には右診断はなく、レントゲン写真上基節骨にそれと判る所見はなく、右所見と第一事故との因果関係はない。
(四) 原告太郎の頸椎捻挫及び腰椎捻挫について
(1) 軽い頸椎捻挫や腰椎捻挫は、頸椎や腰椎周囲の靱帯や筋肉の出血や浮腫によって発症すると考えられており、これらの出血や浮腫は長くとも三〜四週間で吸収されるので、症状は仮に長期にわたったとしても一〜二か月で治癒するものである。
(2) しかし原告太郎は、第一事故の二日後である平成二年六月一九日に千葉徳州会病院で受診して以来、同病院をはじめ葛西循環器脳神経外科病院、東邦大学医学部付属佐倉病院、船橋整形外科及び船橋中央病院に対し、平成七年八月二九日まで五年以上にわたり通院し、この間、平成四年七月一一日には第二事故(追突事故)に遭遇している。
(3) 一、二か月で治癒するはずの頸椎捻挫や腰椎捻挫がその症状が長引き、加療が長期化する例は時折見られるが、このような場合、受傷者の頸椎や腰椎にもともとある加齢的変化としての変形性脊椎症や変形性椎間板症による症状が、軽い交通事故を契機として発症するとか、受傷者に存した強い心因性反応を介して発症するなど、受傷者にもともとある素因が長期化の要因と考えられている。
(4) 確かに原告太郎には、レントゲン写真によれば変形性脊椎症の所見が、また、MRIによれば変形性椎間板症の所見がそれぞれ認められる。
ア しかし、原告太郎が訴える頸椎捻挫様症状については、頸神経根の圧迫を示す上肢の知覚低下や腱反射低下などの明らかな他覚的神経学的所見はないし、頸椎MRI検査によるも頸髄圧迫はなく、脊髄を直接に圧迫する所見は存在ない。したがって、長期化している頸椎捻挫様症状は、頸椎の変形性脊椎症や椎間板症による症状ではない。
イ 腰椎について、脳神経根の圧迫を示すラセーグテスト陽性とか、下肢や腱反射低下などは見いだされておらず、左下肢の知覚低下は一過性に認められるだけで、下肢の明らかな知覚低下や腱反射低下といった異常所見はない。そして、腰椎MRI検査等によるも第二/三〜第四/五腰椎間及び第五腰椎/第一仙椎間で椎間板の軽い後方膨隆があり、軽い脊椎管の圧迫を認めるものの、明らかに脊髄を圧迫しているような所見はなく下肢腱反射の明らかな亢進もなく、下肢運動痳痺とか、排尿、排便障害などの訴えもない。右他覚所見からみると、症状が長期化するものとはいいがたい。
(五) 原告太郎の症状が長期化している原因等
(1) 原告太郎の長期化している症状は、千葉徳州会病院の診療録では、項痛、腰痛、背部痛、上肢痛、時には「頭痛全体的」(平成二年九月一八日付)とか、左手しびれ、両手指痛などのほか、左眼球後方痛(平成二年七月二三日付)、前胸部痛(同年九月一八日付)などもある(後二者については、頸椎捻挫や腰椎捻挫とは特に関係がない症状である。)。
葛西循環器脳外科病院でも、頭痛、頸部痛、両肩痛、腰痛、背部痛、左下肢痛などを訴えている。時には、胸部右半から腹部と背部下半及び右上腕を除いてほぼ全身にわたって痛みを訴えている。同病院の診療録によると、項部や背部の筋緊張(こり)は、平成五年ころから、しばしば記載されるが、増加したり、「異常なし」とあったり、「著明に増加」とあったりする。
(2) 葛西循環器脳神経外科病院の平成四年八月一四日診断の後遺障害診断書(症状固定日としては平成四年五月三一日)には、胸腰椎の運動範囲は「痛みのため測定不能」とされ、右股関節は屈曲が自動で「〇度」とされている。
このことが事実であるとすれば、平成四年八月一四日には、胸頸椎は全く屈曲することができないほか、他下肢は動かすこともできない状態であることになるが、このような記載は、同病院の診療録の右日前後の記録にはもちろん、症状固定日とされた同年五月三一日前後にも全く見当たらない。また、同年八月一四日前後には船橋整形外科にも通院しているが、同外科にもそのような記載はない。
したがって、平成四年八月一四日付診療録記載の症状が真実存在したのかも疑問であり、仮に存したとしても一過性のものというべきである。
(3) このように、原告太郎の長期化している症状は、広汎にわたっており、しかも一過性のものもあり、これらは、心因性反応によって発症したものと考えることが相当である。葛西循環器脳神経外科病院の診療録の記載によれば、原告太郎はもともと心因的反応が極めて強いことがうかがわれる。
(4) また、原告太郎は、千葉徳州会病院脳神経外科に通院して約二週間後の平成二年七月三日に「ポンタール投与―全身浮腫」とあり、同年八月八日には近医眼科で小手術の際ポンタールを服用し呼吸困難を来したとして千葉徳州会病院内科に紹介され、同年八月一〇日まで入院加療後、平成三年三月九日まで通院加療を受けている。
その後、平成三年三月一三日から同年一二月二〇日まで葛西循環器脳外科病院内科で、「薬剤アレルギー」と診断されて通院加療を受けており、平成四年四月八日と同月一五日には船橋中央病院で「頭部湿疹、自家感作性皮疹疾患」とされて加療を受け、平成四年四月一七日には東邦大学医学部付属佐倉病院皮膚科で受診し、以後、平成六年七月まで通院加療を受けている。そして、佐倉病院皮膚科の平成四年四月一七日付診療録には、体幹四肢赤色発疹は「二〇代のころより年に五〜六回反復」とあった。
そうすると、原告太郎は、ポンタールなどの薬剤とか食物に対するアレルギー反応が出る体質であったというべきである。
(5) 以上によれば、原告太郎の長期化した原因は、同人にもともとある強い心因性反応による症状と同人に二〇代のころからあるアレルギー性体質によるものというべきである。
6 第一事故に起因した妥当な診療期間について
(一) 第一事故により発症した可能性が否定できないのは、長くとも一〜二か月で治癒する程度の頸椎捻挫、腰椎捻挫に過ぎないので、第一事故に起因した妥当な診療期間は、一〜二か月とすることもできる。
(二) しかし、その後の原告太郎の心因性反応やアレルギー体質により診療期間がある程度長期化した可能性は否定できない。
この分を併せても第一事故に起因した妥当な診療期間としては、六か月程度を目安にするのが妥当であり、この時期を症状固定時期とすることが妥当と考えられる。この時期は、原告太郎が千葉徳州会病院から葛西循環器脳神経外科病院に転医した時期でもある。
(三) 右以降の症状は、原告太郎にもともとある心因性反応やアレルギー性体質によるものであって、第一事故との因果関係は存しない。
7 休業損害、逸失利益について
(一) 原告太郎の第一事故に起因した妥当な就労不能期間は一〜二か月を目安にすべきである。
(二) 原告太郎が勤務していたエイムコア(ファー・イースト)インコーポレーテッド(以下「エイムコア」という。)の日本における営業所は、平成五年ころから従業員全員が退職金を受領して退職し、平成六年四月二八日付けで営業所の閉鎖登記手続がなされている。そして、エイムコアは、極東地域から完全に撤退した。
(三) そうすると、原告太郎は、第一事故とは無関係に退職日である平成四年九月三〇日以降早晩退職を余儀なくされる状況にあった。
(四) よって、原告太郎は、退職後、就労可能年数の六七歳まで第一事故前年の年収一一二八万八〇〇〇円を得られる見込みはなかった。
8 損害の填補
被告峽東タクシーは、原告主張の既払額のほかに、第一事故及び第二事故に対する損害の填補として以下のとおり合計五〇〇万円を支払っている。
(一) 平成九年二月二四日
三〇〇万円
(二) 平成九年一二月二四日
一〇〇万円
(三) 平成一〇年三月二七日
一〇〇万円
五 被告島田クリーニングの主張
1 原告らの主張は争う。
2 第二事故により、原告車両は破損していない。また、第二事故は原告車両が停止していたところに島田車両が追突したものであるところ、追突により原告車両の移動はない。第二事故により島田車両には、前部スカート部分に僅かの凹損が生じたに過ぎない。
3 そうすると、原告太郎には、第二事故により傷害が発生するほどの力が加わったとはいえない。
4 鑑定人新井康久の鑑定の結果は、原告太郎の供述を真実であることや原告車両が移動しこれによって原告太郎が傷害を受けたことなどを前提に鑑定をしており、この前提が崩れれば右鑑定の結論は採用できないことになる。
六 原告らの反論
1 被告らの主張は争う。
2 第一事故の経費
(一) 原告ら六名は、西沢渓谷をハイキングし、東沢山荘前で待機していたタクシー数台を見つけたので、塩山駅までやってくれるか尋ねたところ、タクシーは客待ちをしているが、二時間たっても客がこないので、乗せてくれることになった。
そこで、原告ら家族四人が一台のタクシーに乗り、友人夫婦がもう一台のタクシー(峽東車両)に乗ったところ、原告ら家族四人が乗ったタクシーの運転手から、友人夫婦の乗ったタクシー(峽東車両)に乗るように言われ、強引に一台のタクシー(峽東車両)に乗せられた。
(二) 原告らは、定員オーバーであり、窮屈であることを訴えたが、タクシーの運転手は、「このあたりは乗れるだけ乗せていいんだ。」と言って原告らの申入れを無視した。結局、原告太郎とその子の二郎が助手席に座り、原告の妻甲野花子(以下「花子」という。)と原告一郎及び友人夫婦が後部座席に乗って、峽東車両は塩山駅に向かった。
(三) 第一事故現場付近は、見通しの良いコンクリート舗装の下り坂の直線道路であり、そこを峽東車両は、時速約八〇Km以上の速度で走行していた。
(四) すると、対向車線である上り坂を走行してくるバスの後ろから、突然武井車両が峽東車両の走行車線に進入してきた。これを確認した時点での峽東車両と武井車両の距離は約二〇〇mであった。この間原告太郎と被告奥原は、「随分気の強い奴だね。強情だね。まだ来るよ。なかなか戻らない。」などと話し合っていたが、峽東車両の手前三〇〜四〇mまで迫ってもバスは武井車両に道を譲ろうとせず、武井車両も自らの車線に戻ろうとしなかった。峽東車両は、三回にわたりブレーキ措置を講じたが、三度目のブレーキ操作中に衝突したものである。被告美香は、左上方のバスの運転手の方を見続けていたもので、前方を注視していなかった。
(五) 峽東車両の損傷は、右前のボンネットその他が損傷し、右フェンダーは大破してタイヤに食い込んで右ドアは開かず、オイルが相当漏れて走行不能の状態であった。後方には湾曲したスリップ痕二本が確認された。
(六) 武井車両は、右前部が中破し、バンパーは垂れ下がり、右側面は前部から後部に至るまで損傷は甚だしく、センターピラーは三分の一ほど車体中央に向かって潜り込んでいた。フロントガラスはほとんど白色に近いほど網目状のひびで覆われ、運転席側から中央部まで大きな穴が開き、右ドアガラスも同様な状態であった。
3 第二事故の経緯
(一) 第二事故により、原告太郎及び妻花子はそれぞれ受傷し、原告車両がそれほど大きな損傷ではなかったとしても損傷が生じた。
(二) 花子は、治療費を除き、八二万一一七五円の支払を受け、実通院日数五七日間を要する治療を受けた。
(三) そうすると、第二事故により、原告車両が移動し、原告太郎が受傷したことは明らかである。
4 被告らの心因性反応及びアレルギー体質である旨の主張に対する反論
(一) 原告太郎は、第一事故に至るまで、外資系企業の管理部長の要職にあり、通常人以上の健康体で仕事やレジャー(第一事故も家族を連れての山歩きの帰りに遭遇したものである。)を何らの支障なく行うことができたものである。
第一事故前にアレルギー体質であること自体が何ら障害になったことはなく、そのこと自体が就労等に影響したものとはいえない。
(二) 原告太郎の心因的反応が極めて強い旨の主張は何の根拠もない。
七 主要な争点
1 第一事故の態様等
(一) 被告奥原に過失があるか
(二) 第一事故の衝突態様
(三) 被告初男は武井車両の保有者か
2 第一事故による原告らの損害額
(一) 原告太郎の受傷の程度
(二) 原告太郎の後遺障害の程度
(三) 原告太郎の素因(心因性反応とアレルギー体質の寄与の程度)と第一事故の関与の度合い
(四) 第二事故との関連
(五) 第一事故における原告太郎の損害額
(六) 原告一郎の損害額
3 第二事故による原告太郎の損害額
(一) 第二事故の態様
(二) 原告太郎の素因と第一事故及び第二事故の関与の度合い
(三) 第二事故における原告太郎の損害額
第三 当裁判所の判断
一 第一事故及び第二事故の態様等
前記明らかに認められる事実等、証拠(甲一、二、八〇三、八〇四、八〇六、八一五、八二三、八二七の1〜4、八三六の2、乙二〜七、八の1〜3、二五、二六、二八〜三一、丙一、二、三の1〜11、四の1〜10、七、三七、三八、丁一、二の2、原告甲野太郎、被告奥原輝茂、被告武井美香)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(第一事故)
1 原告太郎及び原告一郎ら家族四名と原告太郎の友人二人(八巻達也及び八巻洋子)の合計六名は、平成二年六月一七日、西沢渓谷はハイキングし、同日午後三時五〇分ころ、不動小屋前で被告奥原が運転する峽東車両(タクシー)に乗り込み、JR塩山駅に向けて発車した。乗車位置は、原告太郎が長男二郎を抱き抱えて助手席に座り、後部座席左側に妻花子が座り、原告一郎は花子の隣で半ば立った様な状態であった。西沢渓谷から第一事故現場までは片側一車線で左右にカーブが連続するほとんど下り坂であった(第一事故現場付近道路の制限最高速度は五〇Km毎時である。)。
2 被告奥原は峽東車両を運転して、同日午後四時二〇分ころ、第一事故現場手前を時速約六〇Kmの速度で走行していた。第一事故現場付近は、峽東車両の進行方向側からは下り坂(塩山市方面に一〇〇分の四の下り勾配)のゆるやかな左カーブであり、道路左側に高さ約1.8mの棚のブドウ畑が広がっており、前方の見通しは良好とはいえない地点である。
(原告らは、「峽東車両は、時速約八〇Km以上の速度で走行していた。原告太郎と被告奥原が、『随分気の強い奴だな。強情だね。まだ来るよ。なかなか戻らない。』などと話した。」などと主張し、右主張にそう甲八一五の各陳述部分並びに原告太郎の法廷供述部分が存する。しかしながら、第一事故現場付近の道路の屈曲状況、峽東車両のスリップ痕、峽東車両や武井車両の損傷状況にかんがみると、峽東車両の速度は六〇Km毎時位であり、かつ、被告奥原が武井車両を発見してから、原告太郎と被告奥原が話すゆとりはなかったものと認められ、原告太郎の右陳述部分及び法廷供述部分は措信できず、原告らの右主張は採用できない。)
3 被告美香は、同日午後四時二〇分ころ、自ら所有する武井車両を運転し、第一事故現場の峽東車両の対向車線(武井車両から見て、上り坂の右カーブで前方の見通しが不良である。)を時速約四五Kmで走行していたが、武井車両の前を走行していたバス(長さ9.98m)を追い越すため、第一事故現場手前において、加速するとともにハンドルを右転把し、バスを追越すために右側部分(峽東車両走行車線)に進出した。そして、約五〇m走行した地点で被告美香は、前方に峽東車両が走行してくるのを発見した。そのときの峽東車両との距離は約38.9mであった。
4 他方、被告奥原は峽東車両を運転して、第一事故現場付近の前方対向車線にバスを発見したが、その直後にバスを追い越すために峽東車両走行車線に対向進出してくる武井車両を発見した。そのときの武井車両との距離は約52.9mであった。
5 峽東車両及び武井車両ともに相手車両を発見後直ちに急制動の措置を講じ、峽東車両は左転把したが及ばず、峽東車両は発見から約27.7mの地点で、武井車両は発見から一〇mの地点で峽東車両の右前部と武井車両の右前部が衝突するに至った。峽東車両の衝突時の速度は相当程度減速されていたが、武井車両は十分に減速することができなかった。
(被告美香は、乙二八の陳述書及び法廷において、「武井車両は停止する直前であった。」旨陳述又は供述するけれども、被告美香が峽東車両を発見してから停止するまでの距離等にかんがみると、武井車両がある程度減速したことは認められるものの、停止直前の速度まで減速したとまではいえず〔武井車両進行方向の登り勾配の程度は一〇〇分の四程度であり、登り勾配が停止距離に大きく影響しているとはいえない。〕、被告美香の前記陳述部分及び法廷供述部分は採用できない。)
6 右衝突により、峽東車両は右ライト、右フェンダー、右ボンネットが少し凹んだが、オイル漏れや水漏れはなかった。
また、武井車両は、右フロントフェンダー、右ライト、右インナーフェンダー、右フロントピラー、フロントドア、フロントバンパーが少し凹んだが、フロントガラス、右ドアガラスの破損はひび割れもなく破損はなかった(乙三一)。被告美香は、軽い衝撃を感じたものの、身体に傷害はなかった。
そして、峽東車両及び武井車両とも走行できる状態であり、警察官による実況見分終了後、その日のうちに両車両を運転して帰途についた。
(原告らは、「峽東車両の損傷は、右前のボンネットその他が損傷し、右フェンダーは大破してタイヤに食い込んで右ドアは開かず、オイルが相当漏れて走行不能の状態であり、武井車両は、右前部は中破し、バンパーは垂れ下がり、右側面は前部から後部に至まで損傷は甚だしく、センターピラーは三分の一ほど車体中央に向かって潜り込んでいた。フロントガラスはほとんど白色に近いほど網目状のひびで覆われ、運転席側から中央部まで大きな穴が開き、右ドアガラスも同様な状態であった。」と主張し、右にそう原告太郎の法廷供述部分が存するが、右を裏付ける客観的証拠はない上、乙八の1〜3〔武井車両の修理費用は八万五二〇〇円であり、峽東車両の修理費用は四万〇三〇〇円である。〕、丙二の実況見分調書、被告奥原、被告美香の法廷供述等に照らし原告太郎の陳述及び法廷供述部分を措信できず、原告らの右主張は採用できない。)
7 原告太郎は、平成四年七月一一日午後三時五五分ころ、助手席に妻花子を乗車させて、原告車両(自家用普通乗用車自動車)を運転し、津田沼駅に向かおうとして、千葉県船橋市前原西<番地略>線路上で赤色信号機に従って前車に続いて停車していた(サイドブレーキをした状態)ところ、原告車両の後ろを走行していたモハマディ運転の島田車両が時速約一〇Kmの速度で原告車両の後部に衝突し、原告車両は前方に押し出された。
8 この事故により、島田車両は、前部スカートを凹損したが、部品の散乱はなく、ブレーキ痕もなかった。原告車両の破損・故障はなかった(丁二の2)。
花子は、第二事故により約二週間前の安静加療を要する外傷性頸部症候群と診断され(甲八二七の1)たが、実通院日数は五七日であり、住友海上火災との間で八二万一一七五円を支払うことで示談が成立した(甲八二七の2)。
二 第一事故における被告奥原及び
被告初男の責任等
1(一) 前記認定事実にかんがみると、第一事故現場は、下り坂で見通しの悪い左カーブであるから、峽東車両は時速五〇Kmの制限速度を遵守するのはもとより、対向車があっても十分停止できる速度と方法により運転すべき注意義務があったというべきである。にもかかわらず、被告奥原は、制限時速を一〇Km超過する時速約六〇Kmの速度で走行し、対向車である武井車両を52.9mの地点に至るまで発見することができず、第一事故に至ったことになる。そうすると、被告奥原にも見通しの悪いカーブを走行する際、進路に対向車がいても停止できるような適切な速度と方法で走行しなかった過失があるというべきである(なお右過失に関する考察は、原告らに対する損害賠償に関する場合のものであって、被告奥原、被告峽東タクシーと被告美香との間の過失割合については別個に考えられるべきである。)。
(二) そうすると、被告奥原及び被告峽東タクシーは自賠法三条所定の責任を免れることはできないし、被告峽東タクシーは、旅客安全輸送義務違反も免れることはできない(商法五九〇条一項)というべきである。
2 被告美香に追越しの際の安全確認義務違反のあることは明らかであり、被告美香は自賠法三条及び民法七〇九条所定の責任を負うというべきである。
3 原告らは、「被告初男は武井車両の保有者であり、自賠法三条の責任を免れない。」旨主張するけれども、武井車両が被告初男の所有であることを認めるに足りる的確な証拠はない。かえって、証拠(乙二、三、二七の1〜2、二八、被告武井美香)及び弁論の全趣旨によれば、武井車両の使用及び所有名義ともに被告美香であること、武井車両は被告美香が平成二年三月に一四〇万円で購入し(乙二七の1によれば、半額の七〇万円は被告初男から借り受けたものであるが、平成五年五月八日に返済していることが認められる。)、被告美香において通勤に使用していたことが認められる。そうすると、第一事故について、被告初男に対し自賠法三条の責任を求める原告らの請求は理由がない。
三 第一事故による原告らの損害額等
前記明らかに認められる事実等、前記一の認定事実、証拠(甲一三〜八〇二、八〇七、八〇八、八〇九の1〜99、八一〇の1〜54、八一一の1〜56、八一二の1〜121、八一三の1〜31、八一四の1〜14、八一五、八二三、八二六の1〜4、八二八の1〜3、八二九の1〜11、八三〇、八三一、八三五、乙一一、一二の1〜3、一三の1〜6、一四の1〜18、一五の1〜6、一六の1〜5、一七〜二四、丙一二の1〜2、一四、一五の1〜2、一六〜一九、二一の1〜6、二一の7の(1)の①〜④、二一の7の(2)の①〜⑧、二一の7の(3)の①〜③、二一の8〜9、二一の10の(1)〜(5)、二一の11の(1)〜(2)、二一の12〜14、二一の15の(1)〜(2)、二一の16の(1)〜(2)、二一の17、二一の18の(1)〜(2)、二一の19の(1)〜(2)、二一の20の(1)〜(4)、二二の1〜2、二二の3の(1)〜(6)、二二の4の(1)〜(3)、二二の5の(1)〜(6)、二二の6〜7、二二の8の(1)〜(3)、二二の9〜10、二二の11の(1)〜(2)、二二の12の(1)〜(3)、二二の13〜14、二二の15の(1)〜(2)、二二の16の(1)〜(3)、二二の17〜21、二二の22の(1)〜(2)、二二の23〜24、二二の25の(1)〜(6)、二二の26の(1)〜(2)、二二の27〜29、二二の30の(1)〜(5)、二二の31〜35、二二の36の(1)〜(7)、二三の1〜2、二四の1、二四の2の(1)〜(4)、二四の2の(5)の①〜③、二四の2の(6)〜(18)、二四の3の(1)〜(14)、二四の4〜5、二四の6の(1)〜(2)、二四の6の(3)の①〜④、二五の1、二五の2の(1)〜(2)、二五の3の(1)〜(2)、二五の四の(1)〜(2)、二六の1〜2、二七の1〜2、二八の1〜2、二九の1〜2、三〇の1〜2、三一の1〜2、三二の1〜2、三三、三六、四八の1〜3、原告甲野太郎、証人柴田憲男、鑑定嘱託の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下のことをいうことができる。
1 原告太郎は、第一事故により、外傷性頸部症候群、腰椎打撲の傷害を負い、平成二年六月一九日、千葉徳州会病院から全治三週間を要する見込みである旨診断され(乙五)、①同病院に平成二年六月一九日から平成四年七月二九日まで通院(実通院日数八三日)、薬物によるアレルギー反応のため平成二年八月八日から同月一〇日まで入院(三日)、②葛西循環器脳神経外科病院に平成二年一二月一四日から平成七年八月二一日まで通院(実日数二三九日)、③東邦大学医学部付属佐倉病院に平成四年四月一七日から平成七年八月二二日まで通院(実日数七七日)、④船橋整形外科に平成四年七月一三日から平成七年八月二九日まで通院(実日数一五〇日)、④船橋中央病院に平成四年四月八日から同月一五日まで通院(実日数二日)した。
2 原告太郎は、主に、頸部の疼痛、頸筋の異常緊張、左上肢の痛み痺れ異常感覚、背筋の異常緊張痛、腰痛、左下肢痛、股関節痛、歩行不自由等の症状を自覚症状として訴えている。
そして、葛西循環器脳神経外科病院の平成七年五月一〇日診断の後遺障害診断書(症状固定日は平成七年四月三〇日)(甲八〇八)によれば、原告太郎には、「両側大後頭神経領域の痛み、頸部・両肩・背部筋緊張亢進、腰部圧痛、両側腰部筋緊張亢進、左ルーステスト、ライトテスト、アドソンテスト異常、レントゲン検査上第五腰椎棘突起骨折、MRI検査上C5/C6頸椎ヘルニァ、L4/L5、L5/S腰椎ヘルニアがある」旨の記載がある。
他方、同病院の平成四年八月一四日診断の後遺障害診断書(症状固定日は同年五月三一日)(丙一八、二二の17)には、痛みのため旨胸腰椎部の測定不能との記載があり、右股関節は屈曲が自動で「〇度」とされており、要するに、原告太郎は、平成四年八月一四日には、胸頸椎は全く屈曲することができないほか、他下肢は動かすこともできない状態であったことになる。
しかしながら、原告太郎についての右のような症状は、葛西循環器脳外科病院の右日前後の診断録等の記録にも、症状固定日とされた同年五月三一日前後の記録にも見当たらず、同年八月一四日前後には船橋整形外科にも通院しているが、同外科にもそのような記載の記録はなく、丙一八や丙二二の17の平成四年八月一四日の後遺障害診断書記載の激しい症状は、原告太郎の一過性のものと認めることが相当である。
3 第一事故と第二事故の衝撃の程度
(一) 原告太郎が遭遇した第一事故における峽東車両の損傷は、前記のとおり、右フロントフェンダー、フロントバンパー、ライト廻り、右ライトバックル等が少し凹んだ程度であり、武井車両の損傷も右フロントフェンダー、右ライト、右インナーフェンダー、右フロントピラー、フロントドア、フロントバンパー等が少し凹んだ程度であって、第一事故の衝突の衝撃はそれほど大きいものとはいえず(双方車両の損傷の程度にかんがみると、相対衝突速度は二〇〜三〇Km毎時程度であったものと思われる。)、現に被告奥原及び被告美香は何らの傷害も負っていないし、原告ら以外の峽東車両の同乗者も傷害を負っていない。救急車の出動等もなく、原告太郎はその場では身体について特段の異常を訴えていなかった。
なお、武井車両の修理費用は八万五二〇〇円であり、峽東車両の修理費用は四万〇三〇〇円である。
(二) また、原告太郎の遭遇した第二事故における原告車両の損傷はほとんどなく、島田車両の損傷は、前部スカートを凹損したものの、部品の散乱はなく、島田車両のブレーキ痕もなかった。第二事故の追突の衝撃も大きいものではなかった(双方車両の損傷の程度にかんがみると、追突速度は一〇Km毎時程度であったものと認められる。)。
なお、島田車両及び原告車両について、修理費用を要したと認めるに足りる的確な証拠はない。
4 原告太郎の診療経緯等
(一) 原告太郎は、第一事故の二日後である平成二年六月一九日に千葉徳州会病院脳神経外科において、「一七日交通事故にあったが異常なく、今朝(同月一九日朝)より後頭部、背部、腰部に痛みあり」と訴えて受診し(丙二一の3)、外傷性頸部症候群、腰椎打撲と診断されている(乙五)ところ、同病院において、「交互協調運動良好、握力右四八kg、左四七kg、深部腱反射異常なし、項部痛(+)、腰痛(+)、背部痛(+)」などと記載されている(丙二一の3、一二の1の五頁)。
(二) 原告太郎は、右(一)記載のとおり、外傷性頸部症候群と診断され、平成六年七月七日まで通院加療を受けている。
しかし、頸椎捻挫様症状については、頸神経根の圧迫を示す上肢の知覚低下や腱反射低下などの明らかな他覚的神経学的所見はない。
また、千葉徳州会病院脳神経外科での頸椎MRI検査の結果、「頸髄圧迫なし」とされ(平成二年七月二日付診断録)、頸椎のMRI自体にも脊髄を直接に圧迫する所見は存在しない(丙二一の3)。確かに、葛西循環器脳神経外科病院では、平成六年五月三〇日以降の診療録に「左ラセーグ六〇度」という記載がある(丙二二の2)。しかし、他はほとんど「左ラセーグ七〇度」とか「両側九〇度」である。その他下肢の明らかな知覚低下や腱反射低下といった所見はないなど脳神経根の圧迫を示す明らかな他覚的神経学的所見は見いだされていない。
(三) 第五腰椎棘突起骨折、潜在性二分脊椎及び第五腰椎圧迫骨折の有無等
(1) 原告太郎は、千葉徳州会病院脳神経外科において、平成二年一一月二〇日に「左下肢に知覚低下がある。」と診断され(丙二一の3)、同月二七日には同病院整形外科において、「第五腰椎神経根支配領域、第一仙椎神経根支配領域に知覚鈍麻」と診断されている。ただし、下肢伸展拳上テスト(ラセーグ)は左六〇度(脳神経外科の平成二年六月二六日付依頼状に対する回答では七〇度)、右八〇度と正常範囲であり、アキレス腱反射は左右とも亢進とされている。自覚症状としては、左下腿外側から足背の痛みは日によって変動するが、左踵部、アキレス腱痛も出てくると加重しにくくなる等を訴え、単純レントゲン写真上は第一仙痛の潜在的二分脊椎(脊椎披裂)があるが、先天的なものか圧排性病変かはっきりしないと診断されている(丙二一の5)。そうすると、潜在性二分脊椎について、医学的に明確に認められているものとはいえない。
(2) 原告太郎は、千葉徳州会病院脳外科において、平成二年六月二五日、腰椎レントゲン写真で「第四腰椎圧迫骨折の疑い」と診断され(丙二一の3)、その後、同年一一月六日、「第四/五腰椎骨折(+)の疑い」とされ(乙一四の13)、また、第一仙痛の棘突起披裂があると診断されている(丙二一の15の1)。このうち腰椎圧迫骨折については、千葉徳州会病院整形外科の診療録には「先天的なのか圧迫病変なのかはっきりしない。」とある(丙二一の5、二一の11の(2))。しかし、レントゲンやMRIにおいて、明らかに脊髄を圧迫しているような所見はなく、脊髄圧迫に際して見られる下肢腱反射の明らかな亢進もなく、下肢運動麻痺とか、排尿、排便障害などの訴えもないこと、平成二年七月九日に撮影された腰椎MRIでは、第四/第五腰椎間に軽度の椎間板の膨隆を認めるが、第五腰椎椎体の輝度が第三や第四椎体の輝度と変差はなく(鑑定)、第五腰椎(又は第四腰椎)に圧迫骨折を肯認することは困難である。
(3) また、第一仙椎の棘突起披裂については、葛西循環器脳神経外科病院では、「第五腰椎棘突起欠けている」(平成三年三月二五日付診療録)とされ、かつ、「腰椎棘突起骨折」(平成四年八月一四日付後遺障害診断書)に相当する旨の診断がある(この「棘突起骨折」のある腰椎に、その他にも横突起骨折もあるとする図〔平成五年八月付診療録〕が記載されている。)が、この棘突起骨折とされたものは、不整像や破断像が見られず骨の辺縁がスムースであり、潜在性二分脊椎が原因と考えられる遺残骨棘と考えることが相当である(鑑定)から、第一仙椎の棘突起骨折を肯認することは困難である。
(4) そうすると、原告太郎については、潜在性二分脊椎の可能性はあるものの、これを医学的に認められるものとまでいうことはできないし、第四又は第五腰椎圧迫骨折及び第一仙椎棘突起骨折についてはその存在を肯認することは困難というべきである。
(5) もっとも、腰椎については、千葉徳州会病院脳神経外科の平成二年一一月九日診療録に「MRI検査所見として第三/四、第四/五腰椎間の脊髄(馬尾神経)の圧迫」とあり(丙二一の3)、また、葛西循環器脳外科病院の平成五年七月二七日付診断書(丙二二の15の(1))や平成二年一二月一四日診療録(丙二二の2)では、「椎間板ヘルニアを認める。」とか、同病院の平成三年五月一七日以降の診療録(丙二二の2)には「第四/五腰椎間、第五腰椎/第一仙椎間左側にヘルニアを認める。」との記載があり、レントゲン写真や腰椎MRIによれば、やはり第二/三〜第四/五腰椎間及び第五腰椎/第一仙椎間で椎間板の軽い後方膨隆があり、軽い脊椎管の圧迫が認められ、原告太郎について、本件事故により、腰椎付近に相当程度の影響を及ぼしていたことは明らかというべきである。
(四) 千葉徳州会病院脳神経外科では、第一事故の四か月余後の平成二年一〇月三〇日付診療録によれば、左肩外転、外旋位で尺側しびれが出て、モーレイテスト、アレンテストが陽性になって、「左胸部出口症候群」と診断されている。同病院のその後の診療録にはこれに関連する記載はない。他方、葛西循環器脳神経外科病院において、ルーステストの結果異常が認められ、左胸郭出口症候群と診断された(丙二二の2、柴田証人)。一般論として胸郭出口症候群は、外傷をきっかけに発症することもありうることが認められるが、第一事故後四か月を経過してからの主訴であり、千葉徳州会病院における症状が一過性のものであることがうかがえることにかんがみると、第一事故との因果関係が明らかであるとはいえない。
(五) 葛西循環器脳神経外科病院の平成五年六月一八日付診療録では「右第二指基節骨陳旧性骨折?」と診断されている(丙二二の2)。しかし、千葉徳州会病院の脳神経外科でも整形外科でもそのような診断はなく、レントゲン写真にも基節骨に明らかにそれと判る所見はなく、右第二指の疼痛は一過性のものの可能性が高く、第一事故との因果関係を認めることは困難である。
(六) また、原告太郎は、千葉徳州会病院脳神経外科に通院して約二週間後の平成二年七月三日に「ポンタール投与―全身浮腫」とあり、同年八月八日には近医眼科で小手術の際ポンタールを服用し呼吸困難を来したとして千葉徳州会病院内科に紹介され、同年八月一〇日まで入院加療後、平成三年三月九日まで通院加療を受けていること(丙二一の3、19の1〜2)、その後、平成三年三月一三日から葛西循環器脳外科病院内科で、「薬剤アレルギー」とされ(丙二二の1)、また、平成四年四月一五日、船橋中央病院から「薬物アレルギー等」と紹介され(丙二四の2の(2))、その後、平成四年四月一七日には東邦大学医学部付属佐倉病院皮膚科で受診し、以後、平成六年七月まで通院加療を受けているが、同病院皮膚科の平成四年四月一七日付診療録(丙二四の2の(6))には、体幹四肢赤色発疹は「二〇代のころより年に五〜六回反復」とあることが認められ、医学的にも、原告太郎は、二〇代のころから、ポンタールなどの薬剤とか食物に対するアレルギー反応が出る体質であったものと認められるものと考えられる。
(七) 以上によれば、原告太郎は、①第一事故により外傷性頸部症候群(ただし、明確な他覚的な所見は見いだせない。)に罹患したこと、右症候群は、原告太郎に既往していたポンタール等に対する薬物アレルギーにより、治療期間が通常よりも長期化したこと、②第一事故により腰椎捻挫に罹患したこと、右は原告太郎に既往していた前記薬物アレルギーにより治療期間が通常より長期化したことがいえる。
(八) 原告太郎の心因性反応の有無等
(1) 原告太郎の症状は、千葉徳州会病院の診療録では、左手痺れ、両手指痛(平成二年七月一六日付)、左後頭部?痛(平成二年七月二三日付)、全体的頭痛、上肢痛、前胸部痛、左背部痛(平成二年九月一八日付診療録)などを主訴としている(丙二一の3)。
葛西循環器脳外科病院でも、頭痛、頸部痛、両肩痛、腰痛、背部痛、左下肢痛などを訴えている。時には、胸部右半から腹部と背部下半及び右上腕を除いてほぼ全身にわたって痛みを訴えている。同病院の診療録によると、項部や背部の筋緊張(こり)は、平成五年ころから、しばしば記載されるが、増加したり、「異常なし」とあったり、「著明に増加」とあったりする(丙二二の2)。
このように原告太郎の長期化している症状は、広汎にわたっており、しかも一過性のものが多い。
(2) 原告太郎は、神経学理論に照らして整合性のあるとは考えられない症状、例えば、眼球付近の痛みや前胸部痛等、全身にわたる疼痛や歩行困難、手に力が入らない、裁判中の四肢のチアノーゼ、腰痛、ふるえなど多彩で不定な症状が現れている。このような広汎にわたる不定な症状は、心因性反応によって発症していることが十分に疑われる。そして、第一事故及び第二事故の衝撃程度等をかんがえると、原告太郎の症状長期化の主たる要因は原告太郎に存した心因的要因が相当程度影響したものであることを医学的にも優に肯認することができる。
(九) そうすると、原告太郎の長期化した症状は、同人にもともとある強い心因性反応による症状と同人に二〇代のころからあるアレルギー性体質による症状が併さったことが原因であると推認することが相当である。
5 本件は、原告太郎の潜在的疾病、体質的素因などが第一事故と競合して損害の発生及び拡大に寄与している事案であるところ、このような事案では、素因に関する医学的証明の有無、素因の種類・態様・程度、素因発現についての客観的蓋然性の程度、事故態様と結果として生じた損害との間の均衡などの具体的資料に基づいた総合的な検討を加えた上、公平の理念に照らし、どの程度素因が損害の発生・拡大に寄与しているのかなどを判断することになる。
そして、第一事故により原告太郎が受けた衝撃の程度、原告太郎に内在している心因的反応、薬物アレルギーその他体質等を総合的に考慮すると、第一事故による原告太郎の妥当な診療期間は一年六か月であると認められ、その時点(平成三年一二月一七日)で原告太郎の後遺障害認定がなされるべきであったと考える。
そして、前記症状及び前記事情にかんがみると、第一事故に伴う原告太郎に内在している心因的反応及び薬物アレルギーその他体質等による部分を除外した原告太郎の後遺障害等級は、一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するものと考えることが相当である。
さらに原告太郎の損害額を算定するにあたり、原告太郎の心因性反応及びアレルギー体質(特に心因性反応)に伴う損害の拡大の寄与を考慮せざるを得ないところ、前記各事情を考慮するとその寄与割合を原告太郎の損害額の二割と認めることが相当である。
6 以上によれば、原告太郎の第一事故に伴う損害額(ただし、第二事故遭遇前のもの)は以下のとおりになる。
(一) 治療関係費 七六万一二四二円(甲二五〜二八三)
平成二年六月一九日〜平成三年一二月一六日までの治療関係費
(二) 通院交通費 六三万〇〇二〇円
証拠(甲一〇)及び弁論の全趣旨によれば、千葉徳州会病院までの通常の通院交通費は、一回あたり一六二〇円になり、葛西循環器脳神経外科病院の通常の通院交通費は、一回あたり四三〇〇円になると認められる(原告太郎の症状にかんがみると、右期間内はタクシーによる通院方法も相当であると認められる。)。
そして、平成二年六月一九日から三年一二月一七日までの千葉徳州会病院への通院は八一回(ただし、入退院を通院一回と計算した。甲二五〜三三、三六〜四六、四八、五〇〜五六、五八〜七七、七九、八一〜八五、八七〜九八、一〇〇〜一二五、一三三、一三四、一五四、一六七)、葛西循環器脳神経外科病院への通院は一一六回(甲一二六〜一三〇、一三二、一三五〜一四五、一四七〜一五三、一五五〜一五八、一六〇〜一六六、一六八、一七〇〜一七九、一八一〜一九七、一九九〜二一九、二二一〜二五四、二五六〜二六四、二六六〜二七四、二七六〜二八三)であると認められる。
よって、通院交通費は一六二〇円×八一回+四三〇〇円×一一六回=六三万〇〇二〇円であると認められる。
(三) 休業損害
平成三年一二月一七日までの休業実損害を認めるに足りる証拠はない。
(四) 入通院慰謝料 一二〇万円
(五) 後遺症逸失利益 一一六一万五四八六円
原告太郎(昭和一四年六月一〇日生、後遺症固定相当時は五二歳)は、昭和五三年七月一日からエイムコアに勤務していたこと、同社はシカゴに本社がある米国企業で、鉄鋼原料、石油製品等の掘削、販売を業とする会社であり、世界各国に支社があり、従業員総数が約二万八千人であること、原告太郎は同社に約三三年間勤務していたが平成四年九月に管理部長を最後に退社したこと、平成元年分の給与所得が一一二八万八〇〇〇円であったことを認めることができる。
ところで、原告太郎が第一事故に遭遇しない場合であっても外資系企業であるエイムコアに六七歳まで勤務できることを認めるに足りる的確な証拠はなく、原告太郎の逸失利益を算定するにあたっては、前記事情にかんがみると平成三年の賃金センサス第一巻第一表大卒の五〇歳から五四歳の平均賃金である一〇三二万〇四〇〇円と認め、かつ、就労可能期間を六五歳とすることが相当である。
よって、1032万0400円×ライプニッツ係数8.0392×12級の労働喪失率0.14=1161万5486円になる。
〔ライプニッツ係数の算定〕
(1) 六五歳から事故時である五一歳までのライプニッツ係数9.8986
(2) 退職時の五三歳から五一歳までのライプニッツ係数1.8594
(3) (1)−(2)=8.0392
(六) 後遺症慰謝料 二二四万円
(七) 以上の小計 一六四四万六七四八円
(八) 心因性反応等の寄与割合の処理(×0.8)
一三一五万七三九八円
(九) 損害の填補 △五六〇万円(丙四八の1〜3、弁論の全趣旨)
(一〇) 上の小計
七五五万七三九八円
(一一) 弁護士費用 七五万円
(一二) 以上の合計
八三〇万七三九八円
7 原告一郎の損害
(一) 原告一郎は、第一事故による外傷性頸部症候群、顔面打撲の傷害により、千葉徳州会病院に、平成二年六月一九日から同年九月一一日まで通院(実日数七日)したことが認められる(甲八二六の1〜4)。
(二) 原告一郎の損害額
(1) 治療関係費 五万七一二〇円(甲一三〜一九)
(2) 通院慰謝料等 二五万円
(3) 小計 三〇万七一二〇円
(4) 弁護士費用 三万円
(5) 合計 三三万七一二〇円
四 第二事故による原告太郎の損害及び被告らの責任
前記認定事実、前記明らかに認められる事実等、前記三で掲示の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下のことがいえる。
1 前記三3(二)で説示のとおり、原告太郎の遭遇した第二事故における原告車両の損傷はほとんどなく、島田車両の損傷は前部スカートを凹損したものの、部品の散乱はなく、島田車両のブレーキ痕もないことから、第二事故の追突の衝撃は大きいものではなかったといえる。
2 そして、原告太郎は第一事故による後遺症及び原告自身に内在する心因的反応及び薬物アレルギー等のため治療期間が長期化したものと認められる(これらに関する説示は前記三4の説示と同様である。)。
3 そして、第二事故により原告太郎が受けた衝撃の程度、原告太郎に内在している心因的反応、薬物アレルギーその他体質等を総合的に考慮すると、第二事故による原告太郎の妥当な診療期間は一年である平成五年七月一一日までと認められる。なお、原告の第二事故による後遺障害があったとしても、原告の治療経過等にかんがみると、第一事故による一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」を超えるものとはいえない。
なお、原告太郎の心因性反応及びアレルギー体質(特に心因性反応)に伴う損害の拡大の寄与割合を損害額の二割と認めることについては、前説示のとおりである。
4 以上によれば、原告太郎の第二事故に伴う損害額は以下のとおりになる。
(一) 治療関係費 一二万五三五二円(甲三三六〜四〇〇、八〇九の1〜3)
平成四年七月一一日〜平成五年七月一一日までの治療関係費
(二) 通院交通費 二五万八二六〇円
証拠(甲一〇、八〇〇)及び弁論の全趣旨によれば、東邦大学医学部付属佐倉病院までの通常の交通費は一回あたり四九〇〇円になり、葛西循環器脳神経外科病院の通常の通院交通費は一回あたり四三〇〇円になり、千葉徳州会病院までの通常の通院交通費は一回あたり一六二〇円であり、船橋整形外科までの通常の交通費は一回あたり八一〇円になるものと認められる(原告太郎の症状にかんがみると、右期間内はタクシーによる通院方法も相当であると認められる。)。
そして、平成四年七月一一日から五年七月一一日までの東邦大学医学部付属佐倉病院への通院は二一回(甲三三六、三四二、三四五、三五三、三五六、三六〇、三六三、三六五、三六九、三七一、三七四〜三七七、三八〇、三八一、三八四、三八五、三八八、三九〇、三九三、三九五、三九六、四〇〇)、葛西循環器脳神経外科病院への通院は三五回(甲三三七、三四〇、三四一、三四三、三四四、三四六〜三四八、三五〇〜三五二、三五四、三五五、三五七〜三五九、三六一、三六二、三六四、三六六、三六七、三七〇、三七二、三七三、三七八、三七九、三八三、三八六、三八九、三九一、三九二、三九四、三九七、三九九、八〇九の1〜3)、千葉徳州会病院への通院は二回(甲三三八、三三九)、船橋整形外科への通院は二回(三八七、三九八)であると認められる。
よって、通院交通費は四九〇〇円×二一回+四三〇〇円×三五回+一六二〇円×二回+八一〇円×二回=二五万八二六〇円
(三) 休業損害
平成四年九月までの休業実損害を認めるに足りる証拠はなく、右以降は、第一事故による後遺障害逸失利益による損害に吸収される。
(四) 通院慰謝料 一〇八万円
(五) 以上の小計
一四六万三六一二円
(六) 心因性反応等の寄与割合の処理(×0.8)
一一七万〇八八九円
(七) 弁護士費用 一一万円
(八) 以上の合計
一二八万〇八八九円
五 原告らの損害額のまとめ
1 甲事件(第一事故)
(一) 原告太郎の請求は、被告美香、被告奥原及び被告峽東タクシーに対し、第一事故に基づく損害賠償請求金八三〇万七三九八円及び弁護士費用を除く内金七五五万七三九八円に対する第一事故日である平成二年六月一七日から、弁護士費用七五万円に対する訴状送達日の翌日である平成五年七月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないことになる。
(二) 原告一郎の請求は、被告美香、被告奥原及び被告峽東タクシーに対し、第一事故に基づく損害賠償請求金三三万七一二〇円及び弁護士費用を除く内金三〇万七一二〇円に対する第一事故日である平成二年六月一七日から、弁護士費用三万円に対する訴状送達日の翌日である平成五年七月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないことになる。
2 乙事件(第二事故)
原告太郎の請求は、被告島田クリーニングに対し、第二事故に基づく損害賠償請求金一二八万〇八八九円及び弁護士費用を除く内金一一七万〇八八九円に対する第二事故日である平成四年七月一一日から、弁護士費用一一万円に対する訴状送達日の翌日である平成七年一二月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないことになる。
3 よって、主文のとおり判決する。
(裁判官・小宮山茂樹)